雑記帳または /dev/null

ソフトウェア開発、哲学、プログラミング、その他雑多なものもののメモ

知識/情報を「アップデート」することについて

「アップデート」 - 上書きと蓄積

単に「アップデート」と言ったとき、字面上は二通りの意味が想像できる。 一つは、古いものを新しいもので書き換える、上書きとしての「アップデート」。 もう一つは、古いものの上へ新しいものを追加する、蓄積としての「アップデート」。

私達が知識/情報を「アップデート」するとき、それはどちらがより実態に即しているのか。

例として、以下のようなケースを考える。 ある人からクジラという動物の存在を教えられ、それが海にいることや、その姿かたちから「クジラは魚だ」と考えたとする。 後日、他の人から「クジラは魚じゃなくて、哺乳類だよ」と教えられた、というケース。

ここでは、「クジラは魚だ」→「クジラは哺乳類だ」という「アップデート」が発生している。 このとき、「アップデート」の実態は上書きだろうか、それとも蓄積だろうか。

知識/情報は上書き可能か

仮に「アップデート」は上書きであるとした場合、私達の「クジラは魚だ」という知識は、「クジラは哺乳類だ」という知識によって上書きされた、あるいは置き換えられたことになる。 上書きされた、置き換えられたということは、私達の知識として残っているのは「クジラは哺乳類だ」ということだけであって、「クジラは魚だ」という知識は残っていないはずだ。 すなわち、「アップデート」が上書きであるならば、私達は「アップデート」前の知識については語ることも想起することすらもできないはずだ。

果たして現実は、そうではないように思われる。「クジラは哺乳類だ」という「アップデート」を経た後にも、私達は「クジラは魚か?」と尋ねてきた人に対して、次のように語ることができるからだ。 「私も最初は魚だと思っていたんだ」 「でも、実はクジラは魚じゃなくて、哺乳類なんだ」 「クジラも魚と同じように水中にいるし、形も似てるけど、動物としては魚じゃないんだ」

ここでは、「最初は魚だと思っていた」ということ、すなわち「アップデート」以前に自身が「クジラは魚だ」という知識を持っていたことについて言及している。 また、「実は〜」「クジラも〜」という語り口は、「アップデート」以前の「クジラは魚だ」という知識と、「アップデート」後の「クジラは哺乳類だ」という知識とを比較して、後者の方がより現実に即していることを語るものだ。 つまり、私達は「アップデート」を経た後でも、「アップデート」以前の知識について語ることができるし、「アップデート」前と後とで比較して語ることすらできる。

このような、そして私達が普段使っている仕方の「アップデート」を一般化してみよう。 私達は任意の対象Xについて知識Aを持ちうるが、「アップデート」を通じて知識A'を獲得しうる。 ただし、「アップデート」の後で私達はAとA'を同時に保持している。 なぜなら、「アップデート」の後であってもAについて想起したり、Aについて語ったり、AとA'を比較することができるからだ。

さて、このような「アップデート」は、上書きによって成立するだろうか。 「アップデート」が上書きであるのなら、Aは「A」として再ラベリングされたA'によって置き換えられる。 よって、「アップデート」の後に残るのはA'だったAであり、「アップデート」以前にあったAは残っていない。 残っていないAについて、なぜ私達は語りうるだろうか。 そうではなく、AもA'も同時に残っているからこそ、「アップデート」が上書きではなく蓄積であるからこそ、私達は日常のような仕方で知識・情報を「アップデート」できているのだ。